サラサラしたパウダースノーの季節から、牡丹雪の季節へ。
気温が低い時はパウダースノー(粉雪)、気温が高くなると水分を多く含んだ大粒の雪(牡丹雪)に。
感覚的には知っているような事でも、例えば子どもに「どうして?」と聞かれたら説明できない事が多かったりします。
雪の本と言えば中谷宇吉郎博士とベントレー
雪について書かれた本はたくさんありますが、重要な人物は誰かと言えば、中谷宇吉郎(なかや・うきちろう)博士と、ウィルソン・ベントレーの二人は外せないでしょう。
二人の“世界初”、中谷宇吉郎博士=人工雪を製作、ベントレー=雪の結晶を撮影
中谷博士は世界で初めて人工雪の製作に成功した人であり、ウィルソン・ベントレーは、世界で初めて雪の結晶を顕微鏡写真に収めた人です。
1931年に出版されたベントレーの写真集『Snow Crystals』によって、世界中の人が雪華の美しさを知る事になりますが、中谷博士もその一人。
『Snow Crystals』が、中谷博士が雪の研究をスタートするきっかけになったと『雪』の中で述べられています。
中谷博士は科学者、ベントレーは農夫・写真家でしたが、両者に共通するのは、雪に魅せられ、追求しようとした姿勢と、そこから生まれる、時代を超える表現、なのだと感じます。
雪の結晶を撮影する難しさ
雪の結晶の写真を撮ろうとすると、昇華作用で模様が消えてしまったり、息を吹きかけてしまったり、簡単にはいきません。
空から落ちてくる雪の結晶の形は刻一刻と変わるので、何時間も観察する事になります。
冷たいカメラや機材を扱いながら、寒さに耐えながらの作業です。
中谷博士は北海道の十勝岳で雪の観測をしていましたが、零下10℃以下の中、10時間の連続観測をしなくてはならない日もあったそうです。
しかし、そんな十勝岳での降雪の描写は幻想的です。
北海道の奥地遠く人煙を離れた十勝岳の中腹では、風のない夜は全くの沈黙と暗黒の世界である。その闇の中を頭上だけ一部分懐中電燈の光で区切って、その中を何時までも舞い落ちて来る雪を仰いでいると、いつの間にか身体が静かに空へ浮き上って行くような錯覚が起きて来る。
『雪』(中谷宇吉郎)
雪を追い続けたベントレーの生涯
中谷博士が雪の研究を始めるずっと昔、ベントレーは子どもの頃から雪の写真を撮り続けましたが、その生涯を農夫として過ごしました。
16歳の時に「10頭の乳牛よりも値段の高いカメラ」を両親に買ってもらい、試行錯誤の末、雪の結晶を写す方法を2度目の冬に発見します。
しかし、雪の写真に興味を持つ人は周りには少なかったようです(伝記絵本『雪の写真家 ベントレー』より※1999年度コールデコット賞受賞作です)。
時が経ち、現代の一般的な人々の「雪の結晶」のイメージは、ベントレーの写真の影響を強く受けています。
六花状の結晶は、全体のほんの一部に過ぎず、実際に降る雪は「美しくない」結晶の方が数も種類も多いそうです。
にも関わらず「雪=美しい結晶」という認識が多いのはベントレーの影響である、と中谷博士は述べています。
現在も写真が引用される事が多い『Snow Crystals』ですが、この写真集の出版の1ヶ月後、ベントレーは亡くなります。
吹雪の中を10㎞も歩いたせいで肺炎になってしまったのが原因だそうですが、66歳にしての初出版と、世界中へのインパクト、その後の中谷博士の研究へと続いた、雪にまつわる物語はしかし、今も多くの展開の余地を残しています。
雪の場合と限らず、大抵の自然の珍しい現象はまだ殆どよく分かっていないのである。
『雪』(中谷宇吉郎)
空から地上へ、ヒトからヒトへ
雪が生まれて地上に落ちるまでは2~3時間だそうですが、ベントレーから中谷博士、そして現在へと引き継がれた歴史の時間軸を考えた時、雪をしっかりと見てみたくなります。
中谷宇吉郎博士の名言「雪は天からの手紙」
「雪は天からの手紙」。
これも中谷博士の言葉です。
舞い降りて来る雪から天を読み解くような、雪だけでなく、神秘や謎といった、自然界の暗号を読み解くような作業は僕たちの時代にも、まだまだ残されています。
子どもに「どうして雪があんなに不思議な形をしているのか」と聞かれたら、中谷博士とベントレーの本が助けてくれるのはもちろん、自然を見つめる僕たちの感性ほど、大切なものはないのでしょう。
コメントを残す