日本の森について考える時、山村が元気になる事は欠かせません。
山村が元気になる、というのはつまり、過疎化が止まり、若い人が増えて里山や川や、自然の資源が活発に利用されるようになる事でしょう。
「山村」とは
ここで言う「山村」とはどんな場所でしょうか。
明確な定義がない言葉ですが、民俗学者の柳田国男は「農業や稲作的ではない地域」という風に見ました。
林学では、林業生産をしている村落とされます。
柳田国男が言うように、山に囲まれた山村は、急斜面や谷底の地域が多く、水田には向いておらず、焼畑でのアワ、ヒエ、ソバなどの栽培の他、狩猟や炭焼きなど、様々な生活手段が営まれてきたと言えます。
時代に合わせて変わる山村
山村が社会的に問題となってきたのは戦後であり、高度成長期の裏で過疎化、荒廃が進み、1965年、山村振興法が議員立法によって制定されます。
振興山村の指定は、各都道府県の申請に基づいて指定されますが「林野率75%以上かつ人口密度1.16人/町歩未満等」とされ、その面積は「1785万ha(全国比47%)、人口393万人(全国比3%)」となっています(2010年・農林水産省のウェブサイトより)。
国土の47%という、広大な土地に3%の人しか住んでいないというのはしかし、考えようによっては低密度な人口で、贅沢でもあります。
いつも貸し切りのような森の散策路、満天の星空、澄んだ水で淹れるコーヒー。
燃えるようなカラマツ林の夕景は冬の間、毎日のように眺められるにも関わらず、人が溢れかえるという事はありません。
田舎暮らしへの憧れと現実
それでも過疎化が進むのは、産業構造のシフトはもちろん、山村の受け入れ態勢や移住者の覚悟(のようなもの)が必要だし、今のところ簡単ではないとは思います。
諸手を挙げての田舎礼賛が現実的ではない事は、例えば芥川賞作家の丸山健二『田舎暮らしに殺されない法』などの本にも書かれています。
インターネットを通した仕事・コミュニティの可能性
ではどうなるのか。
今後の山村の状況は、改善できるとしたら、インターネットを通した、オンラインでの仕事やコミュニティがきっかけになるのではないか、と僕は思っています。
5G(第5世代移動通信システム)といった技術革新や、生まれていくコミュニケーション、新しいアイデアが山村、ひいては日本の森を健全な状態にする、そのベースを築く事ができる可能性があります。
こうした自然の中での生活を選択する人が増えれば、ペレットや薪ストーブによる間伐材の消費の増加、放置林の解消にも繋がるかもしれません。
山村の次の100年
柳田国男は『遠野物語』の冒頭で「願わくはこれを語りて平地人を戦慄せしめよ」と前置きしながら、山村の伝承を紹介しています。
この100年で、山村の状況は目まぐるしく変化してきました。
身近な自然の不思議、美、怖さ。
それらが伝わり難くなっていた時間も挟みながら、再び新しい時代を迎えようとしている予兆。
この続きを「山村とインターネット」という内容で次回以降、記事化しようと思います。
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