前回の記事『Satoyama villa DEN宿泊体験【信州・松本の里山再生プロジェクト】』の続きです。
先月(9月下旬)の話しです。
Satoyama villa DENに宿泊して、2日目は四賀地域にて稲刈り体験をしました。
今回はそのレポートとなります。
松本市の北東、四賀地区で稲刈り体験
Satoyama villa DENがある松本市中山地区から車で約30分。
松本市の北東部に位置する四賀地区は山に囲まれていて、松本市とはいえ別のエリアのような雰囲気です。
稲刈り体験の前に、主催者の人達の挨拶・説明がありました。
かつての棚田の風景を復活させるべく活動されていて、様々な団体や個人が田んぼのオーナーになったり、今回のようなスポット的な体験イベントなどを開催されているそうです。
目標は50枚の田んぼだそうですが、現在の風景も既に美しくて、日本の原風景です。
稲刈りのコツを習って作業開始
今回は手作業(手刈り)です
地元の名人に稲刈りのコツを教えてもらって、稲刈り開始です。
今回は機械ではなく、鎌を使って手作業です。
左手で稲の少し上を持ち、鎌で稲の根本をザクっと引き切ります。
この時、左手の指を切ってしまわないよう、要注意です。
結束(稲の束ね方)
難しいのは、刈り取った稲を束ねる(結束)作業です。
両手でつかめるくらいの量を束ねて、藁(ワラ)で縛ります。
藁を数本手に持って、稲の根元に巻いて、ねじりながら締めます。
巻きつけて締めた藁を、藁と稲の間にねじ込んで固定します。
きつく縛らないと、1週間くらいして乾燥すると緩んでしまうそうで、できるだけきつく巻こうとするのですが、そうするとねじ込み難くなるし、なかなか難しいです。
ザクッ、ザクッ、と刈り取って、ギュッ、ギュッと縛ります。
結束の後、干します(はぜ掛け)
刈り取りが終わると、刈り取った稲を掛ける「はぜ作り」、「はぜ掛け」です。
刈った稲を干します。
稲作の歴史
弥生時代から変わらない作業、変わった作業
黙々と作業しながら、稲作の歴史に思いをはせます。
驚くべき事に、稲作の基本技術は弥生時代からほとんど変わっていないそうです。
トラクターや化学肥料などの近代化以降も、基本的な事は弥生時代と同じ。
しかし、大きく変わったのは収穫作業だそうです。
以下、『イネという不思議な植物』からの引用です。
弥生時代の稲作といえば、教科書では「石包丁」がおなじみだろう。今では、機械が地際から稲株を収穫していく。また、人力で収穫する場合も、鎌を使って地際から稲刈りをする。しかし、弥生時代には、石包丁というナイフのような道具で、稲穂だけを摘み取っていたのである。
『イネという不思議な植物』稲垣栄洋
何故、稲穂だけを摘み取っていたのか。
詳細は『イネという不思議な植物』に譲りますが、昔はイネの形質がバラバラで(野生の植物の基本ですね)、稲穂が熟す時期がずれていたので、一つひとつ選んで収穫していたそうです。
品種改良によって形質を揃える(収穫時期を同じにする)努力もされてきたのですが、均質化によって絶滅のリスクが高まってしまう為、昔の人はあえてバラバラの形質を維持してきたといいます。
現代の稲刈り作業は、長い長い時間をかけての品種改良、技術革新の結果なのですね。
他にも、『イネという不思議な植物』には「水田は砂漠化しない」「連作が可能な田んぼ」など、面白い項目がたくさんあって、オススメです。
地元の企業もたくさん参加している棚田再生プロジェクト
石井味噌も参加
今回の稲刈りには、様々な団体が参加されていて、石井味噌の社長や社員さんも参加されていました(以前に味噌蔵見学に行って、記事にしています『信州味噌【石井味噌でランチ&味噌蔵見学】』)。
田んぼの隣には、石井味噌のダイズの畑もあって、信州産の米と大豆で味噌作りをされているのだなぁと実感。
大豆畑
このの時期のダイズは、まだ枝豆の状態ですね。
葉が落ちて、茎も乾いてから大豆として収穫します。
四賀地区「旧本陣」の古民家見学ツアーにも参加
保福寺宿本陣小澤家
四賀地区での体験としては、稲刈りともう一つ、古民家の見学もありました。
「保福寺宿本陣小澤家」の見学ツアー。
木造3階建ての建物は小さな城のようでもあり、こんなに大きなお屋敷が残っているのだと驚きました。
今後リノベーションされていくそうで、完成が楽しみです。
棚田再生、そして里山再生へ
Satoyama villa DENと言い、この日、ランチを頂いた「sabouしが」もそうだし、こうした立派な古民家というのは、地区の象徴的な存在として、里山再生への重要なきっかけの一つになっていくのかもしれません。
里山も棚田も、昔のままの利用法や生活で再生するのは現実的ではないはずで、より良い形を模索するという事になりますが、今回の2泊3日の体験ではそんな現在進行形を見せてもらえたように思います。
また、人口約24万人という松本市の大きすぎない規模の中で、ヒトとヒトが繋がりながら、新しい動きが生まれているのだろうとも感じました。
田んぼの神様は、山と里とを行き来した
田んぼの神様は、山と里とを行き来した、と言います(『イネという不思議な植物』に書いてあります)。
イネはもちろん、植物とヒトとの生活というのは、生態系の一部としての自分を意識するという事だと思います。
信じるのが神様であれ何であれ、自然の近くにいるというのはやはり、気持ちの良い事ですね。
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