ヤマブキの花は新緑の頃、山吹色の花を咲かせます。
花期が終わると、小さな実をつけます。
花や実というのはやはり良いもので、古来から親しまれ続けているヤマブキは様々なヒトと出会い、伝説になったり、地名に残っていたりします。
道路脇の花は外来種が多い中、ヤマブキのような存在は貴重だと思うのですが、今回はそんなことを。
ヤマブキの花の季節
ヤマブキの花の季節は春。
4~5月頃、黄色い花を咲かせます。
信州の山間部では、例えば上高地に向かう途中の道路脇にも群生しているのが見られます。
カラマツが芽吹いて、辺りは新緑が見頃になる、そんな季節です。
山吹色は黄金色
江戸時代、黄金色と山吹色はほぼ同義語として使われていたと言います。
昔はそれくらい、黄色を表す代表的な色だったというヤマブキ色は、付近の新緑と相まって、鮮やかな黄色です。
ヤマブキの花言葉
ヤマブキの花言葉は「気品」「崇高」「金運」だそうです。
「金運」は黄金色からでしょう、わかりやすいですね。
開花直前のヤマブキ
ちなみに、ヤマブキは開花直前の蕾(つぼみ)も、なかなか良い被写体になってくれます。
牧野富太郎博士のヤマブキ解説
ここで、『牧野富太郎自叙伝』から、ヤマブキの解説を少し紹介します。
ヤマブキは山吹と書きますが、万葉集では山振と書いてあります。これはヤマブキが山の麓などに沢山咲いていて風に揺ぐのを見てこう書いたのではないかと思います。
『牧野富太郎自叙伝』
上記は牧野富太郎博士が87歳の時の講演会の内容ですが、これを読むと、現在の他の植物図鑑は概ね、牧野富太郎博士の解説と同じような内容であることが多いです。
抜粋してまとめると、
こんな感じです。
太田道灌とヤマブキ、新宿の山吹町
太田道灌のヤマブキの話も有名で、どの解説にも大抵、書いてあります。
室町時代の武将、太田道灌は鷹狩りの途中、にわか雨にあいます。
雨具を借りようと農家に立ち寄ると、娘が無言で八重咲きのヤマブキの枝を差し出しました。
太田道灌は後になって、平安時代の古歌を知ります。
七重八重花は咲けども山吹の実の一つだになきぞかなしき
農家の娘は、雨具の「蓑(みの)」と「実の」を懸けて、貧しい家で蓑一つも無いことをヤマブキに例えた、と。
太田道灌は自分の無学を恥じ、その後歌道に精進し、武将としても歌人としても有名になった、という話です。
※詳しくは『太田道灌「山吹の娘」』
その場所が現在の新宿区・山吹町付近、とのこと。
ヤマブキには実がならない?
前述のヤマブキの和歌は「八重のヤマブキには実ができない」という意味を含んでいるのですが、単に「ヤマブキは花は咲くが実が全くできない」と誤解される場合が多いようです。
実際には、ヤマブキには実がなります。
ただ、牧野富太郎博士も言っているように、一重のヤマブキの実は小さく、目立たないです。
ちなみに、別種ですがシロヤマブキ(白山吹)の実は目立ちます。
ヤマブキの実の季節
こうして書いていると、ヤマブキは花の季節だけでなく、実の季節も案外、楽しめると感じます。
目立たない一重のヤマブキの実を探すのか、シロヤマブキの実を見て「何の実だろう?」と思ったり。
ヤマブキの花の香り
ヤマブキはバラ科ヤマブキ属の植物で、英名をJapanese rose(ジャパニーズ・ローズ)と言います。
バラとは属が異なるものの、鼻を近づけるとほんの少し、バラの香りがします。
花も実も、日本らしい楽しみ方だなぁと感じます。
植生の変化とヤマブキと
前述の牧野富太郎博士の講演の続きを少し。
植物に親しきことは非常にええもんです。これには芝居や映画を見るのと違い一銭もかけずに楽しむことが出来ます。又私が今日このように元気なのも植物に親しみ採集などによく山野を歩いたためではないかと思います。
『牧野富太郎自叙伝』
もし、牧野富太郎博士が現代の山野を歩いたら、外来種の多さや、植生の変化に驚くかもしれません。
そんな中、ヤマブキの花は万葉の時代から新宿の鷹狩りを経て、現代も山間部で花を咲かせ、実を付けています。
万葉の時代から揺らぐヤマブキの旅
江戸城を最初に築いたのが太田道灌なので、その後の江戸・東京の発展も元をたどれば、ヤマブキも関係しているのか、と想像は膨らみます。
目の前の花や実に感謝したくなる、風に揺らぐヤマブキと、ヒトの旅です。
植物名 | ヤマブキ |
漢字名 | 山吹 |
別名 | 面影草(オモカゲグサ)など |
学名 | Kerria japonica |
英名 | Japanese rose |
科名・属名 | バラ科ヤマブキ属 |
原産地 | 日本、中国 |
花期 | 4~5月 |
・ヤマブキは万葉集では山振と書く
・ヤマブキに似た植物としては白山吹、山吹草
・太田道灌とヤマブキの話が有名
・八重咲きのヤマブキには実ができない
・一重のヤマブキは実ができるが非常に小さい