以前、ダンコウバイについての記事を作りました。
ダンコウバイの記事で書いたように、関西ではクスノキというのは馴染み深い樹木です。
街路樹でもよく見かけるし、保存樹に指定されているクスノキも多いです
神戸・生田の森でクスノキの巨木見学
そんなクスノキの巨木が見られる場所の一つに、神戸・生田神社の「生田の森」があります。
今回は、生田の森という場所について、記事にしてみようと思います(神戸出身なので、時々こうしたネタも登場します)。
生田の森についての説明で必須なのは、源平合戦の舞台であった事、それ以前にも歌枕として300首ほどの歌が詠まれている名勝だったという歴史でしょう。
しかし、この記事ではそういうトピックは置いておいて、植物観察を軸にして書いていきます。
さて、生田の森です。
本殿の横を通り抜けると入口があって、入ると、ご神木の大きなクスノキが何本もあります。
前述のように、クスノキは関西では珍しくないですが、生田の森のように巨木がまとまって見学できる場所は貴重です。
しかも繁華街のど真ん中という立地。
さらにもう一つ、貴重と言える理由を以下から述べようと思います。
歩いてみると、「森」というイメージからすると、かなり小さい事がわかります。
四方数十メートルというスペースは森というよりは緑地帯、というくらい。
しかし、かつての生田の森は広大でした。
前述のように古戦場になっていたり、名勝だったくらいなのですからね。
大きいクスノキの下には常緑の低木
当時の森がどのような森だったか。
おそらく、現在のようにクスノキもたくさんあっただろうし、タブノキ、アラカシ、その下(低木)にはツバキ、ヤツデ、アオキも多かったでしょう。
こうした構成の森を「照葉樹林」と言います。
クスノキやタブノキなどの葉の表面に「照り」、ツルツルして光沢がある樹木が優先する(多い)森林のタイプです。
縄文時代は広大だった照葉樹林
「生田の森」と名前が付くよりもずっと昔、縄文時代の西日本は、照葉樹林が広がっていました。
ヒマラヤからアジア、中国の雲南を経て、西日本にまで照葉樹林が広がっていたと言われ、その後ヒトの伐採によって、天然林(自然林)としての照葉樹林はほとんど姿を消しました。
スギやヒノキなどの人工林に転換されていった結果、照葉樹林が残っているのは、宮崎県「綾の照葉樹林」などの一部の森と、「鎮守の森」と言われる、神社の境内や周辺に維持されている森林だけです。
生田の森もその一つで、他の全国の鎮守の森も、ヒトの手が入った上で守られてきたという経緯はありますが、太古の昔からの植生が現在に繋がっているのは間違いありません。
クスノキの自生地は宮崎県から南、台湾や中国南部など南方で、日本国内の多くは植えられたものだと言われているので、関西のクスノキも、その多くは植樹されたものなのでしょう。
元々あった照葉樹林を様々に利用しながら、クスノキのような樹種も加えつつ、スギやヒノキへと利用する木を変化させながらも、神事や庭園に使われる樹種を見ると、照葉樹林で暮らしていたでろう、そんな日本人の祖先の名残があります。
政治や開発、災害も越えてきた植物の力
明治時代、神社合祀によって多くの鎮守の森が失われたり、生田の森に関しては水害、戦争、阪神大震災を乗り越えて、今の姿があります。
境内を回りながら、植物の写真を撮っていると、そんな植物のパワーが働いているのかな、とも思います。
僕の妻なんかは元々、植物にはあまり興味がない方だと思いますが「御朱印がキャワ!」と言って、神社を巡るのは好きなようです。
「パワースポット」も人気ですね。
パワースポットとしての鎮守の森
宗教的な影響力とか権威というのは落ちてきているのかもしれませんが、やはり僕たちはどこかで、植物のパワーを感じているのかな? と思います。
Instagramであれ、他の何かの流行であれ、全国各地で「鎮守の森、キャワ!」みたいになるとしたらそれは植物がそうさせるのかもしれません。
いずれにせよ、植物観察としても面白いので、また他の鎮守の森のレポートも時々しようと思います!
植物名 | クスノキ |
漢字名 | 楠 |
別名 | クス(樟) |
学名 | Cinnamomum camphora |
英名 | Camphor tree |
科名・属名 | クスノキ科ニッケイ属 |
原産地 | 不詳(中国など) |
花期 | 5~6月 |
生田神社
〒650-0011
神戸市中央区下山手通1丁目2-1
https://ikutajinja.or.jp/
以下、この記事作成にあたり、参考にした本です。
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