ヒマワリの名前の元になるイメージには主に2つあって、一つは「太陽の花」、もう一つは「太陽を追って回る花」です。
ヒマワリの英名はサンフラワー(太陽の花)。
学名はHelianthus annuusで、“Helianthus”(ヘリアンサス)はギリシャ語の「helios」(ヘーリオス)=「太陽」と、「anthos」(アントス)=「花」が語源で、やはり「太陽の花」の意味になります。
ちなみに“annuus”は一年草という意味です。
ヒマワリ=「太陽の花」「太陽を追って回る花」
「太陽を追って回る花」とは、漢名「向日葵」(シャンリークイ)=「日に向かう葵」、日本語は「日マワリ」、というように、花が太陽の方向を追うように回る、という意味の名前です。
実際には、花が太陽の方角に向かっているのではなく、若くて茎が柔らかい時に、葉が太陽に向くことから花が回転するように見えるという事で、花そのものが回転する事はありません。
いずれにしても、ヒマワリという花の名前が世界的に「太陽の花」もしくは「太陽を追う花」なのは、皆が納得するイメージなのでしょう。
江戸時代、中国経由で伝わったヒマワリ
日本で「太陽を追う」イメージの名前となったのは、中国(漢字名)の影響もあるでしょうが、移入された当時の状況も関係しているはずです。
江戸時代、徳川家が植物を好んでいた事もあり、様々な園芸種が開発され、庶民の間にも花を愛でる文化がありました(以前のソメイヨシノの記事でも書きました)。
「下品なり」と記した貝原益軒
そんな中、貝原益軒はヒマワリの印象を「下品なり」と『大和本草』で記しています。
どんな感覚で下品と見たのかはわかりませんが、既に多くの観賞用の花がある中で、ヒマワリを「太陽の花」と見るほどには魅力的には映らなかったのでしょう。
「太陽を追う」を優先して(?)名付けたように想像できます。
牧野富太郎博士は『植物一日一題』で当時のヒマワリの命名の誤り(前述の“回らない”ヒマワリ)について記しています。
伊藤若冲のヒマワリとアサガオ
伊藤若冲が『向日葵雄鶏図』でニワトリの背景にヒマワリとアサガオを描いていますが、たくさんの新種開発がされていたアサガオの方が、当時(江戸時代)はメジャーな存在だったはずです。
欧州では食用にも観賞用にも(ゴッホのヒマワリ)
若冲のヒマワリの百数年後、フランス・アルルでゴッホ『ひまわり』(1888~1890年)が描かれます。
16世紀、アメリカ大陸からスペインに渡ったヒマワリ(日本へはその後、中国を経由して入ってきます)。
当初は観賞用だったのが、種子から植物油をとる原料としてヨーロッパ各地で栽培されるようになります。
オリーブやアブラナ、ゴマ等、食用油としての植物利用は古今東西、大きな産業になります。
そうしてゴッホの時代には一面に咲いていたであろうヒマワリは、植物としての有用性としても容姿的にも、やはり太陽の花だったでしょう。
日本のヒマワリ人気は、ゴッホやヨーロッパのヒマワリ畑の影響は大きいでしょう。
今では日本でもすっかり太陽の花。
原産地のアメリカもヨーロッパも日本も、ほぼ同じイメージを共有しているのかも知れません。
夏の花を訪ねる心の旅
江戸の町に咲いていたアサガオ。
現代の日本の各都市ではアジサイやアガパンサスが加わり、室内では多肉植物も人気です。
各地のヒマワリ畑は観光名所になっています。
僕たちの時代に、植物との付き合い方は大きく変化して、進む距離は伸びています。
陽の光を求めて旅をして、アルルに行く事も可能です。
そこで出会う夏の花に何かを感じるのは、僕たち自身の奥深いところに残された記憶のような気がします。
そこでのヒマワリはやはり太陽の花なのでしょう。
植物名 | ヒマワリ |
漢字名 | 向日葵 |
別名 | ニチリンソウ(日輪層)、ヒグルマ(日車) |
学名 | Helianthus annuus |
英名 | Sunflower |
科名・属名 | キク科ヒマワリ属(ヘリアンサス属) |
原産地 | 北アメリカ |
花期 | 7~9月 |
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