信州の山奥に移住してから、2度目の冬を越しました。
雪かきや水道の凍結や、街では想像できない不便さは、春の到来を歓喜させてくれます。
雪と氷の世界は美しいとは言え、ワクワクというよりは、しんみりする美しさです。
雪解けし、ダンコウバイやキブシの花が咲き、地面からはフキノトウが顔を出します。
越冬してわかる、山菜のありがたさ
暖房をしなくても大丈夫なくらいに気温が上がった頃から、ワクワクが止まらなくなります。
移住する前、コンビニやスーパーで買物して、もしくは外食して帰宅して、という生活の中で、これほど春のありがたさを感じた事はなかったし、レストランで春のメニューが出てきたとしても、感謝の気持ちは薄かったように思います。
閉ざされた山暮らしの冬、雪解けの春
山奥の春。
外に出て「春が来たーっ!」と叫びたくなるような気持ちは、きっと皆同じなのでしょう。
「暖かくなりましたね」と挨拶すると、不愛想だったおじさんが「って言うか暑い!」と満面の笑顔で返してきたり、プロパンガスの交換に来てくれた人が山菜の事を嬉しそうに教えてくれたり。
冬の閉ざされた世界にはなかったコミュニケーションが生まれます。
オオバギボウシは僕にとって総状花序の花、観賞用、インスタ用だったものが地元の人は「ウリッパ」と呼び、食用にすると聞いて驚いたのは1年前。
植物の名前はわかっていても、食べられるかどうかは別の勉強が必要のようです。
山菜の季節はフキノトウからタラノキ、コシアブラへ
山菜の春。
フキノトウに始まり、タラノキ(タラの芽)、コシアブラ、ハリギリ、ウド、水辺ではワサビ。
次々に芽吹き、静かな冬とのコントラストは強烈です。
天ぷらや、おひたし、パスタ、山菜ご飯。
家のすぐ横で収穫した山菜が食卓に並びます。
都市部とはやはり違います。
スーパーマーケットに行けば、ほぼ一年を通して同じ野菜を食べる事ができるし、アクやクセがなく、均質な状態です(ほとんどがF1種である事はまた記事にしたいと思います)。
山菜の苦さは、それら一般的な野菜とは対照的であり、収穫時期も限られます。
変わる野菜の形質、上がる旬の味の価値
今後、農産物はますます栄養価が下がる事が予想されます。
僕のお婆ちゃん(90歳を越えています)は「昔のホウレン草は、しっかりアク抜き抜きしないと食べられなかった(今ではそうではない)」と言います。
どの野菜も元は原種、いわば山菜だったわけですが、現代の大量生産、単一栽培によって形質は急速に変わってきています。
品種を作る、日々の選択
誰もが山菜を食べられるわけではありません。
しかし、旬のものを味わうという事は、もっと支持されても良いだろうと思います。
『食べるアブラナ科(アブラナ科の野菜)』でも書きましたが、日々、口にする植物を選ぶ事も投票であり、やがて品種を作ります。
巡る四季を味わって
春の山菜は、夏の陽射しと、冬の静寂と、枯葉や、微生物や、土壌や、虫の羽音、あらゆるものを必要とします。
JRの駅のホームで聞いていた、録音された鳥のさえずり。
同じ声を信州に来てから聞いて、コマドリだと知りました。
僕にとってはどちらがオリジナルなのか。
しばらくは行ったり来たりなのでしょうが、山菜の味わいは、四季を通したフルコーラスを聞いてこそかも知れないと思える程の余裕は出てきた気がします。
信州の山では、もうすぐハルゼミが鳴きだします。
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